思想なるものは、それはそれが独自なるものであり体系的深さをもてばもつほど、それは仮設性をもつものであり、従ってそれによって生きようとする時われ等を生かしているもの、この世界を展開せしめているもの、無為、道と合致せざるものをもつのである。661060「マインズ・アイ コンピュータ時代の「心」と「私」 上下巻揃」ホフスタッター デネット 1984年 ともに初版。それは一つのもののあらわれで、そのあらわれの場所の相違によって呼び名が変わっているだけで、これを同じく玄と呼んでもいいと老子は言っている。哲学、思想 Kierkegaard and Kant on radical evil and the highest good : virtue, happiness, and the kingdom of God Roe Fremstedal。それはあらゆるところに普くあらわれて極るところがなく、つねに休むことなく、一切のものを生々化々しているところのものである。●世界精神史講座●全8巻●理想社S15●日本精神神話仏教儒教支那。
思想によって生きるということを老子は否定したのである。哲学、思想 Der Freiheitsbegriff bei Kant : eine philosophische Untersuchung im Rckblick auf das christliche Freiheitsverstandnis。656003「御批資治通鑑 綱目 12冊」。他の何物にもよらず、このわれ等を生かしているものによって、われ等は生きればよいのである。これを老子は無為に生きるという、無の為(はた)らきのままに生きるのである。青春をどう生きるか―いまやらなくて、いつやれる (カッパ・ブックス) 光文社 加藤 諦三。全譯魏武帝註孫子/渡邉義浩(編者),関俊史(編者)。